イゴーリ・マルケーヴィチ(Igor Markevitch )
1912年7月27日キエフ生、1983年3月7日アンティーブ没
ロンドン交響楽団
・1979年3月22日 席 1-U-29/30 値段 £5.00
Beethoven Symphony No.6,in F major‘Pastoral
Stravinsky The Rite of Spring
・1979年3月29日 席 1-T-31/32 値段 £5.00
Ravel Pavane pour une infante defunte
Debussy La Mer
Mahler Symphony No.1,in D
ロシア生まれながら2歳の時に両親とともに生まれた国を離れ、幼年時代の殆どをスイスで過ごす。
ピアノの力量を アルフレッド・コルトー に認められて、1925年にパリに赴き、
作曲を ナディア・ブランジェ(1887/9/16~1979/10/22)に、ピアノを
コルトーに学ぶ。やがて ディアギレフ の目にとまり、バレー音楽等を作曲。更に
ヘルマン・シェルヘン(1891/6/21~1966/6/12)について高度な指揮法を学ぶ。
第二次大戦中はイタリアで過ごし、1944年にイタリア国籍を取得。フィレンツェ五月祭の
音楽監督就任後は指揮と教育に軸足を移し、世界中の有名オーケストラを指揮。
リリ・ブランジェ(1893/8/21~1918/3/15・ナディアの妹)、
ルイージ・ダラピッコラ(1904/2/3~1975/2/19)、
ダリウス・ミヨー(1892/9/4~1974/6/22)、
フェデリコ・モンポー(1893/4/16~1987/6/13)等の作品の初録音をする。
作曲家であり、バレー音楽にも関係し、教育者でもあった略歴に由来するのかどうか、
その創り出す音楽は極端を排し、感情に溺れず、細部にまで目配りの効いた分析的とも言えるものでした。
上記のプログラミングも幅の広いもので、ヴィーン古典派、ロシア近代、フランス近代、
ドイツ・ロマン派の極致を並べながら、表面的な対比の面白さを演出するのではなく、
それぞれの「楽譜が求める音」を如何に忠実に響かせるか、その点を重視していたように私は聴きました。
『田園』での、静謐な開始から流れるような詩情、上質このうえない「描写音楽」として流麗に傾きながら、
鳥の声や嵐の適格な音の並びと対比、そして終結部に戻っての再度の静謐感による五言絶句を聴くような構成感。
『春の祭典』での、複雑な変拍子を左右の手で見事な振り分けつつ、指揮者としての高度な身体能力を
かいま見せ、それから導き出される音楽の整然とも言える躍動感と決して大袈裟にならない弾力に富んだ
柔軟なダイナミズム。舞台上のバレーが無いながら(またはそれ故なのか)、物語りとしての音楽を表出する。
それにしても、ロンドン響の高度の機能性は凄い。
『亡き王女のためのパヴァーヌ』と『海』の精緻とも言える和音の扱い、旋律と内声のバランスの妙、
そして特に『海』での抑制されたダイナミズム。最後のマーラーの第一交響曲での、過度の粘着性を排して、
精密に計算された強弱・長短をもって、ドラマと歌を表出する。終結部の立ち上がってベルアップする
ホルンの強奏では、溜めに溜めた情熱をはき出すような力感を漂わせたのは、フランス物とは異なった
構成でしたが、これはこれで納得の行くものでした。
なお、 マズア指揮のゲヴァントハウス管弦楽団のマーラーの第一番を既に聴いていますが、
かなり違った印象です。マズア の良い意味で「重たるい音」と「粘り着く旋律」とはかなり異なり、
もしも「近代的指揮」という言葉があれば、それこそ マルケーヴィチ に捧げられて
然るべき者だと感じたのでした。
私にとっては「特異」とも言える指揮者でしたが、その特異性は「あざとさ」や、
またその対極にある「リゴリスティックなアカデミズム」とも異なり、作曲・教育・指揮
(舞台音楽も含めて)といった多方面の経歴の中から生まれた、分析と抑制(または整合)による、
彼ならではの音楽と思いました。
上記二回の公演にしか接することが出来なかったのを、大いに残念に思っています。
さて、マーラーの第一番が上記に出ましたので、話題が変わります。
第4話の フォン・カラヤン でマーラーの洗礼を受け、そして第7話の ヴェラー で
在ロンドン中のマーラーを締めくくったことになります。テムズ南岸には66回通いましたが、
マーラーが比較的多く採り上げられました。録音も聴かずに初めて接した曲も多かったのですが、
在ロンドンの約3年間に私が聴いた範囲内で、マーラー演奏の幾つかにに触れることが出来たのは
幸せでした。
その記録を参考までに日付順に並べておきましょう。
6番 1977/ 6/15 ベルリンフィル カラヤン
さすらう若人 1077/11/ 2 ゲヴァントハウス マズア
1番 1077/11/ 2 ゲヴァントハウス マズア
子供の角笛 1977/12/ 6 ロンドン交響 プレヴィン
5番 1978/11/ 9 フィルハーモニア マゼール
5番 1979/ 2/ 9 コンセルトヘボウ ハイティンク
9番 1979/ 2/ 7 BBC響 ザンデルリンク
1番 1979/ 3/29 ロンドン響 マルケヴィッチ
4番 1980/ 2/20 BBC響 ギーレン
2番 1980/ 2/24 ロイヤルフィル ヴェラー
オペラ狂の私ですから、時間が空けば行けるものに行っただけのコンサートでしたが、
それでも上記の回数をこなせたのでした。
1988年の ベルティーニ/ケルン放響 と1990年の シノーポリ/フィルハーモニア の
マーラー全曲公演で、わが国にマーラー・ブーム到来と言われましたが、その予兆は既に
ロンドンにあったかと思い返しています。
ロンドン交響楽団
・1979年3月22日 | 席 1-U-29/30 | 値段 £5.00 |
Beethoven | Symphony No.6,in F major‘Pastoral | |
Stravinsky | The Rite of Spring | |
・1979年3月29日 | 席 1-T-31/32 | 値段 £5.00 |
Ravel | Pavane pour une infante defunte | |
Debussy | La Mer | |
Mahler | Symphony No.1,in D |
ロシア生まれながら2歳の時に両親とともに生まれた国を離れ、幼年時代の殆どをスイスで過ごす。
ピアノの力量を アルフレッド・コルトー に認められて、1925年にパリに赴き、
作曲を ナディア・ブランジェ(1887/9/16~1979/10/22)に、ピアノを
コルトーに学ぶ。やがて ディアギレフ の目にとまり、バレー音楽等を作曲。更に
ヘルマン・シェルヘン(1891/6/21~1966/6/12)について高度な指揮法を学ぶ。
第二次大戦中はイタリアで過ごし、1944年にイタリア国籍を取得。フィレンツェ五月祭の
音楽監督就任後は指揮と教育に軸足を移し、世界中の有名オーケストラを指揮。
リリ・ブランジェ(1893/8/21~1918/3/15・ナディアの妹)、
ルイージ・ダラピッコラ(1904/2/3~1975/2/19)、
ダリウス・ミヨー(1892/9/4~1974/6/22)、
フェデリコ・モンポー(1893/4/16~1987/6/13)等の作品の初録音をする。
作曲家であり、バレー音楽にも関係し、教育者でもあった略歴に由来するのかどうか、
その創り出す音楽は極端を排し、感情に溺れず、細部にまで目配りの効いた分析的とも言えるものでした。
上記のプログラミングも幅の広いもので、ヴィーン古典派、ロシア近代、フランス近代、
ドイツ・ロマン派の極致を並べながら、表面的な対比の面白さを演出するのではなく、
それぞれの「楽譜が求める音」を如何に忠実に響かせるか、その点を重視していたように私は聴きました。
『田園』での、静謐な開始から流れるような詩情、上質このうえない「描写音楽」として流麗に傾きながら、
鳥の声や嵐の適格な音の並びと対比、そして終結部に戻っての再度の静謐感による五言絶句を聴くような構成感。
『春の祭典』での、複雑な変拍子を左右の手で見事な振り分けつつ、指揮者としての高度な身体能力を
かいま見せ、それから導き出される音楽の整然とも言える躍動感と決して大袈裟にならない弾力に富んだ
柔軟なダイナミズム。舞台上のバレーが無いながら(またはそれ故なのか)、物語りとしての音楽を表出する。
それにしても、ロンドン響の高度の機能性は凄い。
『亡き王女のためのパヴァーヌ』と『海』の精緻とも言える和音の扱い、旋律と内声のバランスの妙、
そして特に『海』での抑制されたダイナミズム。最後のマーラーの第一交響曲での、過度の粘着性を排して、
精密に計算された強弱・長短をもって、ドラマと歌を表出する。終結部の立ち上がってベルアップする
ホルンの強奏では、溜めに溜めた情熱をはき出すような力感を漂わせたのは、フランス物とは異なった
構成でしたが、これはこれで納得の行くものでした。
なお、 マズア指揮のゲヴァントハウス管弦楽団のマーラーの第一番を既に聴いていますが、
かなり違った印象です。マズア の良い意味で「重たるい音」と「粘り着く旋律」とはかなり異なり、
もしも「近代的指揮」という言葉があれば、それこそ マルケーヴィチ に捧げられて
然るべき者だと感じたのでした。
私にとっては「特異」とも言える指揮者でしたが、その特異性は「あざとさ」や、
またその対極にある「リゴリスティックなアカデミズム」とも異なり、作曲・教育・指揮
(舞台音楽も含めて)といった多方面の経歴の中から生まれた、分析と抑制(または整合)による、
彼ならではの音楽と思いました。
上記二回の公演にしか接することが出来なかったのを、大いに残念に思っています。
さて、マーラーの第一番が上記に出ましたので、話題が変わります。
第4話の フォン・カラヤン でマーラーの洗礼を受け、そして第7話の ヴェラー で
在ロンドン中のマーラーを締めくくったことになります。テムズ南岸には66回通いましたが、
マーラーが比較的多く採り上げられました。録音も聴かずに初めて接した曲も多かったのですが、
在ロンドンの約3年間に私が聴いた範囲内で、マーラー演奏の幾つかにに触れることが出来たのは
幸せでした。
その記録を参考までに日付順に並べておきましょう。
6番 | 1977/ 6/15 | ベルリンフィル | カラヤン |
さすらう若人 | 1077/11/ 2 | ゲヴァントハウス | マズア |
1番 | 1077/11/ 2 | ゲヴァントハウス | マズア |
子供の角笛 | 1977/12/ 6 | ロンドン交響 | プレヴィン |
5番 | 1978/11/ 9 | フィルハーモニア | マゼール |
5番 | 1979/ 2/ 9 | コンセルトヘボウ | ハイティンク |
9番 | 1979/ 2/ 7 | BBC響 | ザンデルリンク |
1番 | 1979/ 3/29 | ロンドン響 | マルケヴィッチ |
4番 | 1980/ 2/20 | BBC響 | ギーレン |
2番 | 1980/ 2/24 | ロイヤルフィル | ヴェラー |
オペラ狂の私ですから、時間が空けば行けるものに行っただけのコンサートでしたが、
それでも上記の回数をこなせたのでした。
1988年の ベルティーニ/ケルン放響 と1990年の シノーポリ/フィルハーモニア の
マーラー全曲公演で、わが国にマーラー・ブーム到来と言われましたが、その予兆は既に
ロンドンにあったかと思い返しています。