コヴェント・ガーデンの思い出 テムズ南岸の名指揮者たち
テムズ南岸の名指揮者たち ・ 第4話

ヘルベルト・フォン・カラヤン
( Herbert von Karajan )

1908年4月5日サルツブルク生、1989年7月16日アニフ没

ベルリン・フィルハーモニック管弦楽団

・1977年6月13日席 テラス L-37値段 £9.50
 MahlerSymphony No.6 in A minor
 
・1979年6月18日席 1-S-29値段 £20.00
 BeethovenConcerto for violin,cello,piano and orchestra in C,Op.56
(Anne-Spohie Mutter, Violin)
(Yo Yo Ma, Cello)
(Mark Zeltser, Piano)
 Strauss Also Sprach Zarathustra
 
・1979年6月19日席 1-N-21値段 £20.00
 BrucknerSymphony No.8 in C minor

 1977年6月13日が、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに行った初めての日。 職場仲間の数人が、これはという演奏会の券を共同で買って、仕事の終わった後で 夕食後にコンサートに行くのを楽しみにしたいたので、それに参加しました。 シティ・オヴ・ロンドンからソーホー地区の中華街へタクシー相乗りで行って、軽く 夕食をとり、まだ明るい中をぶらぶら歩きテムズ川を渡ってホールへ。午後八時開演ですから、 大残業が無いかぎり、こんな芸当が出来る。日本では考えられないことです。
 さて、ホールが初めてなら カラヤン も ベルリンフィル も初めて。初めてだらけで 聴いたのが、これもナマでは初めてのマーラーと来て、まぁ我乍ら興奮すること甚だしい。
 会場の大きさは、東京で通った青山青年館、日比谷公会堂、それに東京文化会館 に比べて大きいこと大きいこと。プログラムのメンバー表を見ると、本や放送の音楽番組で 読んだり聞いたりした名前がずらりと並んでいる。コンマスの シュヴァルベ、ブランディス、 シュピーラ、ヴィオラの カッポーネ、バスの ツェッペリッツ、フルートの ブラウ と ツェラー、 オーボエの コッホ、クラリネットの ライスター、ホルンの ハウプトマン と ザイフェルト、 ティンパニの テーリヒェン・・・名手がずらりと並んでいるのは壮観でしたが、 どうも昨今のメンバーよりも大物揃いに思えてなりません。当時のヴィーンフィルは、 コンマスが ゲルハルト・ヘッツェル、ライナー・キュッヘル、エーリッヒ・ビンダー、 そして ヴェルナー・ヒンク ですから、キュッヘル と ビンダー の二人は現在も板に乗っている。 他にも今でも健在な人が居ますから、世代交代はベルリンの方が進んでしまったのかも知れません。

 さて、マーラーですが、出たばかりのカラヤン/ベルリンのAD盤で聴く以上に 迫力満点。この大きなホール、それも二階の後ろの方で、楽員たちの脳天を上の方から遠望するような 席にも拘らず、音がばんばんと飛んで来る。飛んでくるというよりは、ホール全体に音が満ち満ちて、 蒼穹の下の豊穣の海に身を置いて居るかとさえ思える。あくまでも艶っぽいピアニッシモ、 高圧的にならないフォルテシモ、色褪せない高弦、充実した弦の内声、奏者の息使いさえ 感じさせる木管、決して割れず艶を失わない金管のフォルテ・・・・曲にも因るのでしょうが、 スーパー楽団の音はかくやとばかり。それに音がお団子にならずに、どのパートも融合しつつ 分離して聞えるのは、特筆ものです。さらに、ピアニシモの美しさとクレッシェンドと ディミニュエンドの移ろいの色気さえ感じさせる身ごなし。こうなると、第三楽章の アンダンテ・モデラートの美しさなんか、「筆舌に尽くせない」もの。
 Financial Times紙の Dominic Gillも、第一楽章のテンポには疑問を呈したもの の、後は大絶賛でした。

 79年の6月の一日目は、まず若手ソリスト三人が素晴らしい。ヴァイオリンの アンネ=ゾフィー・ムッター が1963年生まれ、チェロの ヨー・ヨー・マ が1955年生まれで、ピアノの マーク・ゼルツァー は生年不肖で見た目が中年っぽいのがちょっと 気にはなりましたが、三つの独奏楽器ではチェロが最も活躍するし、次いでヴァイオリン、 ピアノは一番おとなしいパートですから、若手中心と言ってよいでしょう。
 オイストラッフ/ロストローヴィッチ/リヒテル の大家三人とカラヤン  /ベルリンのAD盤で馴染んだ曲ですが、やはり録音よりナマが良いですね。特にチェロの 柔らかい音と旋律が一番の印象でした。
 続いてのリヒャルト・シュトラウスも、冒頭の音圧から圧倒的ですが、「憧れ」 の静謐感や、「舞踏」のリズム感、そしてコンマスの シュヴァルヴェ が印象深かった。 スーパー軍団の音だけで圧倒するキワモノの演奏ではなく、「丁寧」という言葉が 最も適切と言える演奏でした。
 二日目のブルックナーについては、Financial Times紙のMax Lpppertは感動しなかったそうです。  しかし、“ミレド”が終わった後の爆発するような聴衆の拍手歓声が、その演奏の素晴らしさの 証左でしょう。私の在ロンドン三年二カ月の間で、最高の賛辞だったと思います。
 彼としても、スーパー楽団の底力には脱帽のようで、いろいろ書いて、それを認める書き方を  しています。ただ、感動しない彼としては、これは悔し紛れかどうか、

The experience of Karajan's Bruckner is difficalt to describe.
Difficalt,certainly,in the face of audience enthusiasm still unabated when I left the hall
(and with the sound of its generous cheering still ringing in my ears).

だそうです。  この評論家は、ROHの『カヴァレリア』で フィオレンツァ・コソット をコテンパンに評したり、 また ホアン・ポンス を全く無視したりしていますので、私は時に賛否両面で読んでいる人ですから、 まぁ、どうでも良いでしょう。「難しいのなら書かなきゃ良いじゃないか」とは、記事の出た日に、 一緒に行った同僚のイギリス人の課長代理が言った事でした。彼とは今でも手紙で付き合っていますが、 その頃はアマチュア・トランペット奏者で、定年退職後は、ロンドン大学で音楽美学の勉強を始めた、 私よりちょっと若い通称トムさんです。
 私自身は、明晰なロマンティシズム、正確極まりないオケの機能性、マーラーでも感じた音楽創りの 柔軟性、個々のプレーヤーのゲルマン気質から来る厳然とした名技性、名技でありながら芸の底にある 一種の色気、そんなものに大いに惹かれたのでした。
 やはり音楽は美しくなければなりません。表現芸術家にせよ造形芸術家にせよ、 技術とともに、いやそれ以上に、私は美意識を求めます。
 なお、ハース版による演奏でした。

 在ロンドン中に聴けた カラヤン は上記以外は、思い出記本編で既に書いた ヴィーン国立歌劇場の感動の『ドン・カルロ』。
 帰国後はいずれもベルリンフィルの来日公演で、東京文化会館、NHKホール、 普門館、サントリーホールで併せて13回。日本ではオペラ以外は聴けなかったベームに比べれば、 これだけの数を聴けたことは、肝心のオペラが一回だけとは悔しいのですが、 まぁ、もって瞑すべきことでしょう。

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