コヴェント・ガーデンの思い出 テムズ南岸の名指揮者たち

テムズ南岸の名指揮者たち(序)

 長らくお読みいただいた『コヴェント・ガーデンの思い出』は、138話を オペラ編とし(但しコンサートについての2話を含む)、その終了に当たってご要望が あったバレーについて17話を続編として書き綴って来ました。

 オペラ編が終了した時に、コンサートについての書き込みのご希望がら寄せられ ましたし、その後も、焦点を絞ってでも、コンサートについて書いて欲しいとの ご要望がありました。よって、物故した指揮者について、独断と偏見で書いて 行くことにします。
 どんなオケや指揮者がどんな曲をやったかの総覧については、外来オーケストラ は思い出記第25話(#383)を、英国オーケストラは思い出記第26話(#385)を ご参照下さい。

 今回の書き込み順序は下記のとおり生年順とし、複数の演奏会を纏めますから、 書き込み回数はそんなに多くはなりません。(なお、生年・没年・姓名はニュー・グローヴ 音楽辞典により、それに載っていない没年は人名辞典とインターネット検索によります)

カール・ベーム1894年8月28日
オイゲン・ヨッフム1902年11月1日
アンタル・ドラティ1906年4月9日
ヘルベルト・フォン・カラヤン1908年4月5日
ヴィリー・ボスコフスキー1909年6月16日
ヘンリ・クリプス1912年2月10日
セルジュ・チェリビダッケ1912年7月11日
イゴール・マルケーヴィチ1912年7月27日
キリール・コンドラーシン1914年3月6日
ラファエル・クベリーク1914年6月29日
レナード・バーンスタイン1918年8月25日
クラウス・テンシュテット1926年6月6日
ヴァルター・ヴェラー(外伝)1939年11月30日

 会場はすべてロイヤル・フェスティヴァル・ホールです。
 このホールはテムズ南岸にあって、言うならば英国らしくない(?)近代的外観の 建物で、1951年5月3日に開業。定員2895名の大ホールですが、中ホールに当たる クイーン・エリザベス・ホール(1967年3月1日開業で定員1094名)と、小ホールに 当たるパーセル・ルーム(1967年3月1日開業で定員368名)とで、 一大音楽センターを形成しています。この三つのホールを結び、英国鉄のウォータールー駅にも 通じる広い歩道を巡ると、テムズ河を挟んで北岸の国会議事堂やウェストミンスター寺院は 指呼の間ですし、また、セントポール寺院のドームも遠望出来ます。

 在ロンドンのオーケストラは勿論、外来オーケストラの公演も総てがテムズ南岸で 行われました。ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでは、オーケストラ・コンサート だけではなく、外来オペラやバレーさえ上演されたと、ものの本に書いてあります。 英国人がサウス・バンクと言えば、此処のことを指します。テレビでアナウンサーが 「さて、次はサウス・バンクからです」と言えば、音楽について話と決まっていました。

 私の帰国後に新しいホールがバービカンに建設されて、ロンドン交響楽団の本拠地に なりました。 また、室内楽専用ホールとしては、ウィグモア・ホールがあって、 此処は、ヨーロッパの若手演奏家の登竜門と言われる程の権威を誇っていました。

 このテムズ南岸の大センターが出来る前は、ロイヤル・アルバート・ホールなどが オーケストラ・コンサートに使われ(現在もプロムスは此処です)、そこのアーコスティックに 慣れた音楽家や観客には違和感があったようですが、会場の部材も良い方向に経年変化をし、 音楽家も音創りに慣れて来て、大き過ぎるようなホールですが、音響はまぁそこそこ だったと思います。

 私の家の最寄りのサービトン駅と、シティ・オヴ・ロンドンの勤務先の最寄りの バンク駅の通勤経路の乗換駅がウォータールー駅ですので、帰路にボックス・オフィスに 立ち寄って当日券で行ったり、気が向けば次回の切符の手配が出来たのは幸せでした。 なにしろ、演奏会開始が午後8時で終演が10時。ウォータールー駅から自宅最寄りの サービトン駅迄は、快速電車だと途中に止まるのはウィンブルドン駅だけですから、 ちょっとした残業をやっても、音楽会に行って帰宅は11時前。 日本に居るよりは時間の余裕がありました。

 では、ぼとぼちと書いて行きますが、オーケストラ・コンサートとなると、オペラや 物語りバレーと異なって、筋書きの無い言わば絶対音楽が殆どですから、当時のメモや 新聞切り抜きを見直しても、果たしてご要望の線に沿える内容になるかどうか、 今後の書き込みを笑覧下さい。

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