キリール・コンドラーシン( Kiril Kondrashin )
1914年3月6日モスクワ生、1981年3月7日アムステルダム没
ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団
・1978年1月24日 席 1-M-40 値段 £3.85
Balakirev Oriental Fantasy ‘Islamey’
Liszt Piano Concerto No.2
(Christina Ortiz, Piano)
Tchaikovsky Symphony No.5
・1978年1月29日 席 1-K-10/11 値段 £3.85
Wagner Overture,Die Meistersinger
Elger Violin Concerto
(Gidon Kremer, Violin)
Brahms Symphony No.2
フィルハーモニア管弦楽団
・1979年10月11日 席 1-M-24 値段 £5.20
Hindemith Nobilissima Visione
Mozart Piano Concerto in C,K503
(Stephen Bishop-Kovacevich, Piano)
Shostakovich Symphony No.6
ロシアの名指揮者は大勢が来日していて、1980年の帰国後にはその音楽に多く接することが出来ましたが、
コンドラーシン を聴いたのは上記三回のみ。あまりに早いその死を悼むのみです。
そういえば、 エフゲニ・ムラヴィンキー指揮のレニングラード・フィルが来英しましたが、
急用で聴けず、帰国後にこの組み合わせ最後の来日と言われた公演のキップを買ってあったところ、
ムラヴィンスキー が来日不能となって、遂にこの黄金コンビは聴けませんでした。
さて話題を コンドラーシン に戻して、彼の指揮者デビューは1931年(弱冠18歳)の
モスクワ中央児童劇場。本格デビューは1934年10月25日のミネローヴィッチ-ダンチェンコ記念
モスクワ劇場での、フランス・オペレッタの大傑作であるプランケット作曲の『コルネヴィユの鐘』。
1936年~1943年の間はレニングラードのマールイ劇場、1943年~1956年の間は
ボリショイ劇場で指揮者を勤める。56年からはコンサート指揮者として活躍。
58年チャイコフスキー・コンクールで ヴァン・クライバーン と共演したのをきっかけに西側にデビュー。
60年~75年間はモスクワ・フィルの指揮者(この間にショスタコーヴィッチの交響曲全曲を録音)。
ショスタコーヴィッチの交響曲第4番と13番の初演や、多くの現代曲の初演をする。
79年オランダに亡命、コンセルトヘボウの指揮者に就任。
上記三回の公演では、バラキレフ(1837~1910)の『東洋的幻想・イスラメイ』
(1869初演・管弦楽編曲版は1907)、エルガー(1857~1934)の
ヴァイオリン協奏曲(1910)、ヒンデミット(1895~1963)の『気高き幻想』(1938)、
ショスタコーヴィッチ(1906~1975)の交響曲第6番(1939)と言った近・現代曲と、
古典派・ロマン派の曲を組み合わせた興味津々のプログラムを提供して、多くの観客を引きつけていました。
彼の創り出す音楽は、指揮棒を使わずに、大柄でありながら繊細さも兼ね備えた動きで、
曲の全体像を大きく掴んだ上に、細部の磨きあげにも行き届いた配慮を見せて、卑近な言い方をすれば
「抑制と爆発の見事な均衡」だと思いました。各曲について当時のメモや新聞評を参考にしつつ、
若干のコメントをしてみましょう。
- ・ バラキレフの東洋的幻想・イスラメイ。
-
これは ニコライ・ルビンシュタイン に献呈され初演されたピアノ曲。今夕は、
イタリアのピアニスト・作曲家でイタリア現代音楽協会の設立者でもある アルフレード・カセッラ
(1883~1947)によって、1907年にオーケストレーションされた版が演奏されました。
オリエンタル・ムード満載の曲ですが、そこはかとないムードよりもかなり濃厚な味わいで、
オケを鳴らしまくり、各セクションの名技を要求して、大いに華やかに終わる。
原曲のピアノだったらさぞかしヴィルトゥオージティを持って弾きこなさねばならない曲だと
想像するに難くない。プログラム解説では、ピアノの名手でもあったバラキレフ自身が、
自分では弾けないと言ったそうですから。ともかく、コンサート冒頭で観客を惹ききつけるに充分。
- ・ リストのピアノ協奏曲第2番。
-
ブラジル出身の若手 クリスティーナ・オルティス のピアノが聞き物でした。
粒立ちと歯切れの良さ、音色の明るさ、時に光彩陸離とする音色は、これこそが、
第二番に相応しいとも言える。音量的にオケのフォルテにマスクされる瞬間もありはしましたが、
それでも小ぎれいには終わらない詩情の深い演奏でした。
- ・ チャイコフスキーの5番。
-
これは第五番「悲劇的」とも言える演奏。特に終楽章の音量と重厚な足取りは、
圧倒的な迫力で満場を圧したようでした。
- ・ マイスタージンガーの前奏曲。
-
曲を大きく掴んで細部にこだわらず豪快な演奏。
- ・ エルガーのヴァイオリン協奏曲。
-
外国人がイギリスに来てエルガーを演奏するのは、ライオンの口に自分の頭を入れるようなものだ
・・・・これは Financial Times 紙の Arther Jacobs 氏による評の書き出しです。
でも、ガブリとはやられなかったと思います。ロシア人がエルガー弾くのは クレーメル
が初めてではなく、彼に師の オイストラフ も弾いていますし、外国人にも採り上げられてこそ、一国の芸術から
ユニヴァーサルな芸術に深化するのでしょう。エルガー指揮で メニューイン が弾いたLPを第4話に
書いたトムさんから借りて聴いて行きましたが、やはりナマは良いです。
カッチリとした音色とフレーズで、技巧を真っ正面から開陳しての演奏は、一種の爽快感さえ
あったのでした。なお、オケを控えさせてイザイの無伴奏ソナタ第3番がアンコールとして演奏されて、
これは万雷の拍手でした。
- ・ ブラームスの第2番。
-
田園交響曲が実にしっとりと始まり、最終楽章で素晴らしい昂揚感で終わりました。
全編を起承転結のある物語りのように描き出して、特に旋律を浮き立たせる手腕はたいしたものです。
コーダの大音量も、音量ではなくて情感の厚味のようでした。
- ・ ヒンデミットの『気高き幻想』。
-
バレー・ルュス、バレー・ルュス・デ・モンテカルロ、アメリカン・バレー・シアターで活躍した、
振付家 レオニード・マシーン(1895年生)の依頼により作曲したバレー曲からの組曲です。
1938年にロンドンのドゥルリー・レーン劇場(我が家は此処でミュージカル『ハロー・ドリー』を
観ています)で初演された、アッシジの聖フランチェスコを描いたバレーです。
その後アメリカで“St.Francis”とタイトルを変えて上演されましたが、
結局はレパートリーには成らずに終わったそうです。宗教家をバレー化するのは難しかったからかも
知れません。でも、音楽は充実していたからか、作曲者自身によって、序奏/ロンド/マーチ/
田園詩/パッサカリアの五曲になる組曲に改変されて、1939年にヴェネチアで初演。
これはとても面白かった。序奏の分厚く弦を鳴らしたゆったりした音楽から、
パッサカリアで奏される金管の敬虔なコラール、そしてコーダの盛り上がり。まさにアッシジの
聖フランシスコを描いた壮大な交響詩です。そして、一人の聖人を具象的にバレー化する
難しささえ感じてしまいます。かえって音楽の偉大ささえ感じたのでした。
- ・ モーツァルトのピアノ協奏曲。
-
カリフォルニア生まれの中堅ピアニストの引き締まった音と、やや分厚い音色のオーケストラによる、
何処かに『フィガロの結婚』の音楽を思わせるモーツァルトの傑作。特に第2楽章は、
夜の庭園での愛の語らいを思わせる。ヒンデミットとがらりと変った世界です。
- ・ ショスタコーヴィッチの6番。
-
ラルゴ/アレグロ/プレストの三楽章形式で、ソナタ形式の第一楽章を欠いたような、
そして異常とも言える長さの第一楽章ラルゴを持つこのシンフォニーから何を読み取るかについては、
ウィリアム・マン氏の詳細な解説がプログラムに書かれていますが、
コンドラーシン が手兵のモスクワ・フィルと入れたLP(1967年)で
事前に聴いた以上に面白い。ナマ演奏に時に耳に付く機能上の小さな齟齬があるものの、
「春」と呼ばれた第一楽章はスケルツォ風が支配する第二楽章と見事に対比され、
最終楽章のロンド、ソナタ形式の中にこれ以上は無いと思わせる躍動の表出。
風刺と諧謔とが一種の俗っぽさを持って何かの意味を語りかけるようです。
コーダの熱狂は凄まじいばかりでした。オケをこれでもかと駆り立て、またそれに必死に付いていく
オケを目のあたりにするのも、痛烈な快感でした。
実に変化に富んだプログラミングを提供してくれた コンドラーシン の三夜でしたが、
あまりにも早いその死によって、その後の彼の音楽に接することが出来なかったのが残念です。
得意と言われたマーラーを一度でよいから聴きたかったと今でも思っています。
なお、 コンドラーシン の略歴については、ニュー・グローヴ辞典を主としつつ、
プログラムの指揮者紹介欄をも参考にしました。
ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団
・1978年1月24日 | 席 1-M-40 | 値段 £3.85 |
Balakirev | Oriental Fantasy ‘Islamey’ | |
Liszt | Piano Concerto No.2 (Christina Ortiz, Piano) | |
Tchaikovsky | Symphony No.5 | |
・1978年1月29日 | 席 1-K-10/11 | 値段 £3.85 |
Wagner | Overture,Die Meistersinger | |
Elger | Violin Concerto (Gidon Kremer, Violin) | |
Brahms | Symphony No.2 |
フィルハーモニア管弦楽団
・1979年10月11日 | 席 1-M-24 | 値段 £5.20 |
Hindemith | Nobilissima Visione | |
Mozart | Piano Concerto in C,K503 (Stephen Bishop-Kovacevich, Piano) | |
Shostakovich | Symphony No.6 |
ロシアの名指揮者は大勢が来日していて、1980年の帰国後にはその音楽に多く接することが出来ましたが、
コンドラーシン を聴いたのは上記三回のみ。あまりに早いその死を悼むのみです。
そういえば、 エフゲニ・ムラヴィンキー指揮のレニングラード・フィルが来英しましたが、
急用で聴けず、帰国後にこの組み合わせ最後の来日と言われた公演のキップを買ってあったところ、
ムラヴィンスキー が来日不能となって、遂にこの黄金コンビは聴けませんでした。
さて話題を コンドラーシン に戻して、彼の指揮者デビューは1931年(弱冠18歳)の モスクワ中央児童劇場。本格デビューは1934年10月25日のミネローヴィッチ-ダンチェンコ記念 モスクワ劇場での、フランス・オペレッタの大傑作であるプランケット作曲の『コルネヴィユの鐘』。 1936年~1943年の間はレニングラードのマールイ劇場、1943年~1956年の間は ボリショイ劇場で指揮者を勤める。56年からはコンサート指揮者として活躍。 58年チャイコフスキー・コンクールで ヴァン・クライバーン と共演したのをきっかけに西側にデビュー。 60年~75年間はモスクワ・フィルの指揮者(この間にショスタコーヴィッチの交響曲全曲を録音)。 ショスタコーヴィッチの交響曲第4番と13番の初演や、多くの現代曲の初演をする。 79年オランダに亡命、コンセルトヘボウの指揮者に就任。
上記三回の公演では、バラキレフ(1837~1910)の『東洋的幻想・イスラメイ』 (1869初演・管弦楽編曲版は1907)、エルガー(1857~1934)の ヴァイオリン協奏曲(1910)、ヒンデミット(1895~1963)の『気高き幻想』(1938)、 ショスタコーヴィッチ(1906~1975)の交響曲第6番(1939)と言った近・現代曲と、 古典派・ロマン派の曲を組み合わせた興味津々のプログラムを提供して、多くの観客を引きつけていました。
彼の創り出す音楽は、指揮棒を使わずに、大柄でありながら繊細さも兼ね備えた動きで、 曲の全体像を大きく掴んだ上に、細部の磨きあげにも行き届いた配慮を見せて、卑近な言い方をすれば 「抑制と爆発の見事な均衡」だと思いました。各曲について当時のメモや新聞評を参考にしつつ、 若干のコメントをしてみましょう。
- ・ バラキレフの東洋的幻想・イスラメイ。
- これは ニコライ・ルビンシュタイン に献呈され初演されたピアノ曲。今夕は、 イタリアのピアニスト・作曲家でイタリア現代音楽協会の設立者でもある アルフレード・カセッラ (1883~1947)によって、1907年にオーケストレーションされた版が演奏されました。 オリエンタル・ムード満載の曲ですが、そこはかとないムードよりもかなり濃厚な味わいで、 オケを鳴らしまくり、各セクションの名技を要求して、大いに華やかに終わる。 原曲のピアノだったらさぞかしヴィルトゥオージティを持って弾きこなさねばならない曲だと 想像するに難くない。プログラム解説では、ピアノの名手でもあったバラキレフ自身が、 自分では弾けないと言ったそうですから。ともかく、コンサート冒頭で観客を惹ききつけるに充分。
- ・ リストのピアノ協奏曲第2番。
- ブラジル出身の若手 クリスティーナ・オルティス のピアノが聞き物でした。 粒立ちと歯切れの良さ、音色の明るさ、時に光彩陸離とする音色は、これこそが、 第二番に相応しいとも言える。音量的にオケのフォルテにマスクされる瞬間もありはしましたが、 それでも小ぎれいには終わらない詩情の深い演奏でした。
- ・ チャイコフスキーの5番。
- これは第五番「悲劇的」とも言える演奏。特に終楽章の音量と重厚な足取りは、 圧倒的な迫力で満場を圧したようでした。
- ・ マイスタージンガーの前奏曲。
- 曲を大きく掴んで細部にこだわらず豪快な演奏。
- ・ エルガーのヴァイオリン協奏曲。
-
外国人がイギリスに来てエルガーを演奏するのは、ライオンの口に自分の頭を入れるようなものだ
・・・・これは Financial Times 紙の Arther Jacobs 氏による評の書き出しです。 でも、ガブリとはやられなかったと思います。ロシア人がエルガー弾くのは クレーメル が初めてではなく、彼に師の オイストラフ も弾いていますし、外国人にも採り上げられてこそ、一国の芸術から ユニヴァーサルな芸術に深化するのでしょう。エルガー指揮で メニューイン が弾いたLPを第4話に 書いたトムさんから借りて聴いて行きましたが、やはりナマは良いです。 カッチリとした音色とフレーズで、技巧を真っ正面から開陳しての演奏は、一種の爽快感さえ あったのでした。なお、オケを控えさせてイザイの無伴奏ソナタ第3番がアンコールとして演奏されて、 これは万雷の拍手でした。 - ・ ブラームスの第2番。
- 田園交響曲が実にしっとりと始まり、最終楽章で素晴らしい昂揚感で終わりました。 全編を起承転結のある物語りのように描き出して、特に旋律を浮き立たせる手腕はたいしたものです。 コーダの大音量も、音量ではなくて情感の厚味のようでした。
- ・ ヒンデミットの『気高き幻想』。
- バレー・ルュス、バレー・ルュス・デ・モンテカルロ、アメリカン・バレー・シアターで活躍した、 振付家 レオニード・マシーン(1895年生)の依頼により作曲したバレー曲からの組曲です。 1938年にロンドンのドゥルリー・レーン劇場(我が家は此処でミュージカル『ハロー・ドリー』を 観ています)で初演された、アッシジの聖フランチェスコを描いたバレーです。 その後アメリカで“St.Francis”とタイトルを変えて上演されましたが、 結局はレパートリーには成らずに終わったそうです。宗教家をバレー化するのは難しかったからかも 知れません。でも、音楽は充実していたからか、作曲者自身によって、序奏/ロンド/マーチ/ 田園詩/パッサカリアの五曲になる組曲に改変されて、1939年にヴェネチアで初演。 これはとても面白かった。序奏の分厚く弦を鳴らしたゆったりした音楽から、 パッサカリアで奏される金管の敬虔なコラール、そしてコーダの盛り上がり。まさにアッシジの 聖フランシスコを描いた壮大な交響詩です。そして、一人の聖人を具象的にバレー化する 難しささえ感じてしまいます。かえって音楽の偉大ささえ感じたのでした。
- ・ モーツァルトのピアノ協奏曲。
- カリフォルニア生まれの中堅ピアニストの引き締まった音と、やや分厚い音色のオーケストラによる、 何処かに『フィガロの結婚』の音楽を思わせるモーツァルトの傑作。特に第2楽章は、 夜の庭園での愛の語らいを思わせる。ヒンデミットとがらりと変った世界です。
- ・ ショスタコーヴィッチの6番。
- ラルゴ/アレグロ/プレストの三楽章形式で、ソナタ形式の第一楽章を欠いたような、 そして異常とも言える長さの第一楽章ラルゴを持つこのシンフォニーから何を読み取るかについては、 ウィリアム・マン氏の詳細な解説がプログラムに書かれていますが、 コンドラーシン が手兵のモスクワ・フィルと入れたLP(1967年)で 事前に聴いた以上に面白い。ナマ演奏に時に耳に付く機能上の小さな齟齬があるものの、 「春」と呼ばれた第一楽章はスケルツォ風が支配する第二楽章と見事に対比され、 最終楽章のロンド、ソナタ形式の中にこれ以上は無いと思わせる躍動の表出。 風刺と諧謔とが一種の俗っぽさを持って何かの意味を語りかけるようです。 コーダの熱狂は凄まじいばかりでした。オケをこれでもかと駆り立て、またそれに必死に付いていく オケを目のあたりにするのも、痛烈な快感でした。
実に変化に富んだプログラミングを提供してくれた コンドラーシン の三夜でしたが、
あまりにも早いその死によって、その後の彼の音楽に接することが出来なかったのが残念です。
得意と言われたマーラーを一度でよいから聴きたかったと今でも思っています。
なお、 コンドラーシン の略歴については、ニュー・グローヴ辞典を主としつつ、 プログラムの指揮者紹介欄をも参考にしました。