コヴェント・ガーデンの思い出 テムズ南岸の名指揮者たち
テムズ南岸の名指揮者たち ・ 第1話

カール・ベーム( Karl Böhm )

1894年8月28日グラーツ生、1981年8月14日サルツブルク没

ロンドン交響楽団

・1977年6月20日席 1-U-32値段 £6.00
 SchubertSymphony No.2 in B flat
 BrahmsSymphony No.2 in D,Op.73
 
・1977年12月11日席 1-N-10/11値段 £6.50
 MozartSymphony No.41 in G,K.551 ‘Jupiter’
 TchaikovskySymphony No.4 in F minor,Op.36

ヴィーン・フィルハーモニック管弦楽団

・1979年2月23日席 1-E-29値段 £15.00
 SchubertSymphony No.2 in B,flat,D.125
 BeethovenSymphony No.5 in C minor,Opus 67
 
・1979年2月24日席 1-R-18値段 £18.00
 MozartSymphony No.39 in E flat,K.543
 Symphony No.40 in G minor,K.550
 Symphony No.41 in C,K.551(Jupiter)

 当時83歳直前のカール・ベームを生で聴くのも、また、ロンドン交響楽団を生で 聴くのも、6月20日が文字どうり「生まれて初めて」。
 ロイヤル・フェスティヴァル・ホールを訪れるのは二回目で、第一回は6月13日の カラヤン とベルリン・フィルですが、これは第4話に出てきます。
 当夜は、ベーム が舞台下手から登場するやいなやの大拍手と歓声。 そして、ブラームス の最後の音が終わらないうちに沸き上がったヴラヴォの嵐。
Financial Times 紙の Roland Crifton 評も当夜の二つの曲の演奏について、

One goes back to them again and again in the mind's ear.

と大絶賛で記事の第一節を締めくくっています。
そしていろいろ述べた記事の最後の行は、

If only this conductor and orchestra could work together more frequently!

となっています。

 この日は シューベルト と ブラームス の二番の組み合わせで、シューベルト は18歳の 少年期の作品。弦のプルトを刈り込まずにかなり重厚な開始でしたが、徐々に青春の薫りを 聴かせ、最終楽章のリズムの強調は面白いものでした。
 ブラームス の二番も明るさと重厚さを兼ね備えて、最終楽章のフィナーレの盛り上がりは 興奮もの。ベーム の歩き方は年齢を感じさせますが、指揮台にあがると、矍鑠たる棒です。 それに付けるロンドン交響楽団の合奏力と音量も、これ以降に聴く在ロンドンの オーケストラ中で最高のものでした。

 ロンドン響との二回目は モーツァルト と チャイコフスキー。
モーツァルト については、紛失してしまった新聞評で、ロンドン響の弦をヴィーンフィルに 変えた、と言うのが記憶に残っていて、そりゃ言い過ぎだ、と思いましたし、 後述のヴィーンフィルとの『ジュピター』の最終楽章で聴かせた大宇宙には 及びませんでしたが、弦は他の指揮者のロンドン響とはかなり違っていたのは確かでした。
 それよりも面白かったのが チャイコフスキー。
当時の私は、ベームと言えば独墺系音楽の大指揮者という先入観しかありませんでしたので、 意表を突かれた感じでした。
 その後に聴いたロシア系の指揮者とオーケストラの一種の、大雑把に総括した 「厚い雲が垂れこめた下での爆演」とは異なって、一種の弾みと歌に溢れた演奏だったと思います。 このコンビの録音もありますが、これは未聴なので何とも言えません。ともかく、 曲が終わって聴衆の方に振り向いたベーム老の破顔一笑が印象深く、指揮者もオーケストラも、 楽しみつつ演奏したという印象が強く記憶に残っています。

 さて、ヴィーン・フィル。
2月23日は ベーム とヴィーンフルの組み合わせによるロンドン初訪問でしたが、 これはやや不幸な事件に巻き込まれました。
 ヒースロー空港の管制やデスパッチャーの短時間ストライキがあって飛行機の到着が遅れに遅れ、 オーケストラがやっと会場に辿り着いたものの、音合わせをする時間がとれず、 会場の音響を確かめる間も無く本番に突入したこと。前日に到着しとけば良かったとも言えますが、 世界一多忙なヴィーン・フィルのことだし、また直行便では日本国内の遠距離よりも 近いと言えるヴィーン-ロンドン間ですから、他のヨーロッパ大陸のオケも当日到着は 言わばアタリマエ。まぁ、労働党政権末期の英国名物ストライキの犠牲者は、 オーケストラだけではなく、観客もそうだったと言えます。
 ともかく、スタンディング・オヴェイションで迎えられた指揮者とオーケストラの最初の曲は、 ベーム老 のお気に入りらしくロンドン響でもやったシューベルトの二番。
やはりロンドン響とは音が違います。これこそ絹地のてざわり。ただ、第一楽章は ややもたついた印象がありましたが、翌日の新聞でストライキの影響を知って、 成る程と思ったのでした。
 そして ベートーヴェン の五番の、弦の柔軟さと木管の艶、そして最終楽章の金管の咆哮。
 それよりも観客を魅了したのが、アンコールの『美しく青きドナウ』。
ヴィーン・フィルの名楽団長 オットー・シュトラッサー の著作『栄光のヴィーンフィル』 ( ユリア・セヴェラン 訳・音楽の友社・原著 Und dafuer wird man nochbezahlt )でも、 戦前から外国訪問の時のアンコールの定番のようです。
Financial Times 紙の Max Roppert も大絶賛。この曲に特に言及して、シューベルト と ベートーヴェン よりもこっちを聴け、とばかりの誉めようです。

the silkin allure of the string tone,the sumptuousness of the whole band in full flood,
the feelings of ripeness and supurime graciousness of each phrase------

 翌日の モーツァルト 三大交響曲も素晴らしかった。 ごく自然体の演奏とはこのことしょう。評者が David Murray に変った新聞評で、

No eccentricities or experiments were to be expected,and none were heard
--only loving exposision,phrasing of unforced naturarities,round and lucid balance.
・・・・・Boehm's Mozart is gracious but plain spoken.

とありますが、全く同感です。
 特に、この日最後のフーガ楽章は、ヴィーンからの輝ける来訪者たちの締めくくりの 言葉として、観客へ最後のメッセージを贈るにこれほど素晴らしいものはあり得なかったでしょう。
 なお、アンコールとしては、フーガ楽章が演奏されたように記憶していますが、 これは定かではありせん。音の大宇宙に心地よく遊泳したことだけを思い出すのみですから。

 ともかく、シンフォニストとしてのベームを聴いたのは、幸か不幸か、これっきり。
 オペラ指揮者としてのベームは、既に思い出記に書いたROHの『フィガロ』と 『コシ』、それにヴィーン国立歌劇場の『後宮』。
 そして帰国直後のヴィーン国立歌劇場来日の『フィガロ』と『アリアドネ』があります。

 いわゆる現代ものにも取り組んできた ベーム については、自伝の『回想のロンド』   (高辻知義訳・白水社・原著 Ich erinnere mich ganz genau-Autobiographie ) にも書かれていますし、録音にある『ヴォツェック』とか『ルル』なんかもナマで 聴きたかったのですが、私の生まれたのが遅かったのかも。『アリアドネ』をナマで 聴けただけでも、良しとしましょう。

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