ヘンリー・クリプス( Josef Krips )
ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
・1979年3月18日 | 席 1-E-6/7 | 値段 £3.00 |
Mahler | Symphony No.6 in A minor | |
Tchaikovsky | Fantasy-Overture,Romeo and Juliet | |
Rachmaninov | Rhapsody on a Theme of Paganini (Peter Katin, Piano) | |
Rimsky-Korsakov | Capriccio Espagnol | |
Delius | The Walk to the Paradise Garden | |
Borodin | Polovestan Dance(Prince Igor) |
前回のボスコフスキーに続き、ヴィーン生まれの指揮者です。
クリプスは、ヴィーンの音楽好きのお医者さんの家庭で生まれた二人兄弟です。
まず兄の ヨーゼフ ですが、既に1974年10月13日にジュネーヴで亡くなっています。
38年にヴィーン国立歌劇場指揮者の地位を捨ててアメリカに逃れたが、45年にヴィーンに復帰。
そして連合軍の空襲で瓦礫と化した国立歌劇場再建コンサートでヴィーン・フィルを指揮。
曲はベートーヴェンの『第九』で、歌手は、イルムガルト・ゼーフリート/エリーザベト・ヘンゲン/
アントン・デルモータ/ヘルベルト・アルセン という凄い歌手陣。
オットー・シュトラッサー著の『栄光のウィーン・フィル』(ユリア・セヴェラン訳・原著
Und dafuer wird man noch bezahlt・音楽の友社刊)には、ヨゼフ・クリプスについて、
「この人は芸術家であり、この危機状態にあたって、彼の仕事への情熱と献身は、 いくら高く評価してもしすぎることはなかったであろう」
(227ページ)とあります。 戦争終結直後の国立歌劇場の指揮台で大いに活躍した人ですが、LP初期のわが国の レコード評ではあまり評価されなかったような記憶があります。
さて、弟 ヘンリ 。彼はオーストリーからオーストラリアに脱出し、20年以上をアデレードの 南オーストラリア交響楽団首席指揮者の地位を中心に仕事を続け、やがて英国にも活動の場を 広げた人です。戦後の母国での活躍は兄ほどでは無かったのですが、英国での活動が評価されて、 MBE(Member of the order of theBritish Empire=五等勲士)の称号を得ています。 ロンドン・フィルやフィルハーモニア管に何度か登場していて、私が聴いたのは ロンドン・フィルの今夕と、思い出記の本編に書いたENOの『メリー・ウィドウ』だけでした。 あの『メリー・ウィドウ』は、大衆受けした切れ味と纏綿さを織りまぜて、オペレッタオペレッタした 音楽をピット内から湧き上がらせていました。大変に結構でした。
今夕のプログラムは些か「ポピュラー・コンサート」の色合いがありますが、ちゃんとした(?)、
78~79年のシーズン・コンサートです。これはなかなか楽しいものでした。
何よりも選曲が良い。
冒頭曲がチャイコフスキーの『ロメオとジュリエット』でリリシズムとドラマを聴かせ、
続いてラフマニノフで憂愁の美しさを聴かせる。
休憩後の冒頭は、異国情緒をリムスキー=コルサコフの華麗な管弦楽法の粋で聴かせ、次いで、
ディーリアス が、G.Kellerの短編小説『村のロメオとジュリエット』から自ら台本を作って
作曲した同名のオペラからです。憎しみあう二家族の二人の恋人がボートを川に漕ぎ出して、
底の栓を抜いて死に至る最後のシーンを描いた、悲しく切ない音楽。そして、最後に
ボロディンのこれも異国情緒の大爆発で締めくくる。
第二次大戦前からオケピットで「聴かせる技」を身につけたような、一種の職人技を使って
それぞれの曲を振り分ける様は、聴いていて気持ちの良いものでした。
また、ピーター・カティン のピアノが、力感よりも抒情に傾斜した感じなのが、
プログラミングとの整合性があるようで、これも一種の職人技でしょう。職人技といっても決して
低く見ているのではなく、特に、カール・ベーム がコヴェント・ガーデンでのレパートリーとなった
古いコプレー演出をそのまま使ったモーツァルトのオペラ二つを聴いて、「筆を選ばない素晴らしい職人技」だと
思ったことがありますが、ベーム の場合を「孤高の境地に達した名技」とするならば、
クリプスは「楽しませる術を心得た職人技」と言えるのではないかと
思ったりしたのでした。
なお、ベーム についての「職人技」とは、「人間国宝」とか「伝統技術保持者」
と言った名人の謂いであることを付言します。
さて、ヴィーン生まれの指揮者である ボスコフスキー とクリプスとが二回 続きましたので、物故した名指揮者についてのこの連載の番外として、もう一人の ヴィーン指揮者 ヴァルター・ヴェラー についても触れて見ます。