コヴェント・ガーデンの思い出 テムズ南岸の名指揮者たち
テムズ南岸の名指揮者たち ・ 第11話

レナード・バーンスタイン
(Leonard Bernstein)

1918年8月25日ローレンス(マサチュセッツ)生、
1990年10月14日ニューヨーク没

ヴィーン・フィルハーモニック管弦楽団

・1978年2月18日席 1-H-14値段 £4.40
 BeethovenSymphony No.2 in D Op.36
 BeethovenSymphony No.3 in E Flat,Op.55(Eroica)

 ヴィーンフィルは既にソウル駐在時代に梨花女子大講堂で二回聴いていて、今夕が3回目 (先に書いた ベーム指揮は1979年)。 バーンスタイン をナマで聴くのは 今夕が初めての機会。おおいに期待して出かけました。そして期待は裏切られることは ありませんでした。

 バーンスタイン の身振りは、大昔にテレビで見たことのある、躍り上がるような ジェスチャーや、時に指揮台からピョンと飛びあっがったりするような動きは殆ど影を潜めていました。 大袈裟な動きや誇張的な細工は一切ない、言わばマニュアルで操縦するのではなくオート・パイロットで 操縦するような印象。ここぞという箇所では、オケにそれとなくサインを出し、オケが自然に それに調和するようです。均衡と抑制の上に成り立ち、無駄な誇張は些かも無く、 自然な流れの中に自発的な主張を織り込んだ演奏でした。

 まず第2番。 第1楽章前奏開始のトゥティに続く木管の艶の素晴らしさ、高弦の爽やかさと低弦の柔らかさ、 内声部の艶によって創り出される音は、他の団体とは隔絶したもので、これこそヴィーンフィルだけが 誇れる音色でしょう。第1主題の何処か荘重なところから第2主題の踊り立つようなリズムへの移行も円滑で、 あまりテンポを動かさずに自然に進行する。此処まで聴いて、上に述べた「音楽のあり方」が流れるように 心を打ちます。第2楽章の「和み」の極みは、決して弛緩せず、えも言われぬ強弱変化で楽想を歌い揚げる。 バーンスタイン の動きは、ごく稀にバレーの男性舞踊手のような動きを見せて、 ゆったりした中の強弱変化を身振りによって観客にさえも訴えかけるようです。第3楽章の弾みと、 第4楽章の些かもせかせかしないスピード感。序奏付きの古典派交響曲の枠組みを守りつつも、 自然体でありながら微細な表情を巧く潜りこませた演奏でした。両端のアレグロ楽章の、第1の "con brio"と第4の"molto"の意味合いさえ自然に私にしみ込ませてくれたようでした。
 休憩後の第3番は第2番を更に上回りました。抑制が利きながらも広い会場全体にバランス良く 貫通するようなオーケストラの音、そこここに微妙な指示を出しながら音楽を作る バーンスタイン の指揮ぶりで創り出される音楽は、言葉の無い「詩篇」のようです。 第1楽章の確固とした構成、第2楽章のデリカシーの極み、スケルツォの「諧謔味」とは異なった 確固とした足取りによる推進力、最終楽章の真っ赤に燃え立つ炎の連続で、英雄のモニュメントを 建立したようです。

 今夕の編成は、弦は14型で、管は倍管にしていたように思います。オケのトゥッティのフォルテの 暖かさとふくよかな厚み、木管のソノリティの豊かさは倍管のしからしむるところだったかと思います。
 それに、ソリスティックに出てくる木管、思いっきり吹き上げるホルン、合奏の場合の純正調で ハーモナイズする音程の確かさ等々、定評の弦のみならず、管楽器群の素晴らしさを満喫したのでした。 オケを引きずり回すのではなく、その自発性を重んじつつ、これぞという箇所では細やかな指示を 出しながら、余裕で創造したベートーヴェンの世界でした。
 その後の バーンスタイン 体験は、1985年9月12日のイスラエル・フィルとの マーラーの9番(NHKホール)の超絶名演だけです。1990年のロンドン響来日で結局は 聴けなかったのが、まさに痛恨の極みです。

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