コヴェント・ガーデンの思い出 テムズ南岸の名指揮者たち
テムズ南岸の名指揮者たち ・ 第3話

アンタル・ドラティ( Doráti Antal )

1906年4月9日ブダペスト生、1988年11月13日ベルン没

ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団

・1978年10月29日席 1-8/9値段 £3.60
 Dvorak Overture ‘Carnival’
 Cello Concerto
(Janos Starker, Cello)
 Symphony No.7

 ドラティ は1963年にロンドン交響楽団と来日していますが、テレビで観た その指揮ぶりは、痙攣するような腕の動きに特徴があって、同時に来日した ショルティ の 直線的四角四面な動きと対比しつつ、友人と動作を真似して面白がったのでした。 それから10年以上を経て初めて目のあたりにした ドラティ の動きは、上記の記憶の とおりではありましたが、その動きで導き出される音楽の、溌剌としたリズム感と 多彩な音色による造形美は、なかなかの聞き物でした。
 第1話と第2話のロンドン交響楽団に比べて機能性と力感でやや下回るような ロイヤル・フィルを指揮して、冒頭の『謝肉祭』から弾むリズムで心浮き立つような 鮮やかな情景を描き出したのは、これはただ者ではない、そんな印象を強く持った のでした。

 そして、第二曲の シタルケル のチェロが素晴らしい。この曲で時に聴かせられる一種 「これでもか」の歌ではなく、仄かな郷愁で通底したやや鄙びた音色と旋律美。 この曲は同じホールで、アンドレ・プレヴィン 指揮のロンドン響と ポール・トルトゥリエの 組み合わせで既に聴いていますが(1977/9/22)、トルトゥリエ の流麗さとの 対比が面白いものでした。 シュタルケル はこの曲が好きなようで(チェロ協奏曲となると 余り数は無いからかも知れませんが)、アンドラーシュ・コロディ指揮のブダペスト・フィルの 来日公演(1983/2/3 人見記念講堂)でも採り上げていて、再度楽しむことが出来ました。 オーケストラの演奏にあわせて口ずさむような動きを見せながら、楽しみつつ曲への共感を 現すような舞台姿は、ロンドンを思い出させて貰いました。

 第三曲の七番は、一月も経たないうちに、同じロイヤル・フィルを同じ会場で ズデネク・マツァル指揮で聴いています(1978/11/12)。チェコ人の マツァル の方が、 ハンガリー人の ドラティ よりも「お国ぶりに近い」と言った安直な比較は禁物でしょう。 どちらが「本物か」は置いといて、いずれも面白く聴きましたが、やはりリズムの切れは ドラティ だったのではないでしょうか。

 ブダペストの高等芸術学院で コダーイ や バルトーク に学び、ヴィーン大学で哲学を学んだ ドラティ。ドレスデンでは フリッツ・ブッシュの助手を務めたり、 ミュンスターの音楽監督を務めたりしたしたが、その後の舞台経験はバレー指揮者。 ディアギレフ一座の後継団体であるモンテカルロ・ロシアバレー団や、アメリカン・バレーシアターの 音楽監督を長く務めた。やがてアメリカの多くのオーケストラと関わり、アメリカ市民権を得て、 やがてヨーロッパにも多くの足跡を残す。
 この経歴からも、彼の独特のリズムや音色、そして独特の造形美が出来上がって 来たと思うのは早計でしょうか。

 Conductor Laurate が ドラティ、Principal Guest Conductor Designate がユーリ・テミルカノフ、 Associate Conductors が チャールズ・グローヴズ と ハンス・フォンク というのが、 当時のロイヤルフィルの指揮者陣でした。そして、一シーズンに数回のドラティ・シリーズ というのがあって、今夕はその二回目。その後に ベートーヴェン、ベルリオーズ、バルトーク、 R.シュトラウス と続きましたが、聴いたのは結局は今夕の ドヴォルザーク だけ。
 作曲家としても多くの曲を残しているようですが、ドラティ の音楽にナマで接したのは今夕限り。 もっと多く接したかった指揮者の一人でした。

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